■water
神奈川県の中規模の町の郊外です。以前から気になっていた滝で、water(水)の撮影はここでしたいと思っていました。
最初は滝壺の中に入ろうっていう予定だったんですが、今年は雨が多かったので以前よりも水量が増えていて無理でした。それもあって予定どおりではない、その場でできることを探しながらの撮影でした。けれど上がってみると、思ってもいなかったようなストーリー性が見えてきておもしろかったです。
この滝は町からも近いのに、このときは私たち以外誰もいませんでした。滝壺の所だけ緑が濃くて原始的。そこにだけ自然がぎゅっと凝縮されている感じは、滝も樹も岩もすべてが、そのために作られた劇場にいるようで感動的でした。
今回の作品を撮るには、約1ヶ月かをかけていますが、撮影の順番としてはこの滝が一番最後です。それだけに被写体との気持ちのやりとりもできあがっていて、自分と彼女と、その場の自然のエネルギーのようなものが心地よく融合した感じがしました。
表現していく過程のすべてが無理のないフロウに乗っていたという意味で、私にとってこの写真は特に思い入れのある9枚です。同時に、自分がこれからどんな表現をしていきたいのかが手触りとなって確認できた撮影でもありました。
神奈川県の中規模の町の郊外です。以前から気になっていた滝で、water(水)の撮影はここでしたいと思っていました。
最初は滝壺の中に入ろうっていう予定だったんですが、今年は雨が多かったので以前よりも水量が増えていて無理でした。それもあって予定どおりではない、その場でできることを探しながらの撮影でした。けれど上がってみると、思ってもいなかったようなストーリー性が見えてきておもしろかったです。
この滝は町からも近いのに、このときは私たち以外誰もいませんでした。滝壺の所だけ緑が濃くて原始的。そこにだけ自然がぎゅっと凝縮されている感じは、滝も樹も岩もすべてが、そのために作られた劇場にいるようで感動的でした。
今回の作品を撮るには、約1ヶ月かをかけていますが、撮影の順番としてはこの滝が一番最後です。それだけに被写体との気持ちのやりとりもできあがっていて、自分と彼女と、その場の自然のエネルギーのようなものが心地よく融合した感じがしました。
表現していく過程のすべてが無理のないフロウに乗っていたという意味で、私にとってこの写真は特に思い入れのある9枚です。同時に、自分がこれからどんな表現をしていきたいのかが手触りとなって確認できた撮影でもありました。
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